第5回 筋肉で形を作ることと、型に嵌まることの違い

前回は、「嵌まる」という感覚について、いま自分が言えることを書きました。

嵌まるとは、固まることではない。
気持ちよく決まることでもない。
癖に戻ることでもない。
ただ形を作ることでもない。

今の自分には、

身体の使い方の条件が合ったとき、
教わった形がそこにしか来ないように感じること

に近いものとして感じられています。

今回は、その「嵌まる」という感覚を、もう少し力の使い方の側から考えてみます。

特に書いておきたいのは、

筋肉で形を作っている時と、
型に嵌まって形が保たれている時では、
同じ形に見えても内側で起きていることが違う気がする

ということです。

最初は、筋肉で形を作ることになる

最初は、どうしても筋肉の収縮で形を作ることになると思います。

それで構わないと思っています。

というより、最初からそれ以外のやり方は難しいと思います。

手はここ。
足はここ。
胸はこう。
あごはこう。
指先はこう。

そう教わった時に、まずは自分の身体をその形に合わせに行く。

胸を張るために、胸や背中に力を入れる。
あごを引くために、首まわりを使う。
手を合わせるために、肩や腕や手首を使う。
指を伸ばすために、前腕や指先に力を入れる。
足の形を保つために、脚や腰を使う。

これは自然なことだと思います。

形を知らないうちは、形を作るしかありません。

外から見える位置に合わせるために、筋肉を使う。
ずれないように、力で支える。
崩れたら、また力で直す。

この段階を悪いことにはしたくありません。

形を覚えるには、まずその形を作る必要があるからです。

筋肉で作ると、部位ごとに頑張ることになる

ただ、筋肉で形を作ろうとすると、どうしても部位ごとに頑張る感じになります。

胸を張るなら、胸や背中。
あごを引くなら、首。
手を合わせるなら、腕や手首。
指を伸ばすなら、指先。
足を置くなら、脚。

それぞれの部位で、形を保とうとする。

気をつけの姿勢で考えても、これは分かりやすい気がします。

結び立ちを作る。
胸を張る。
あごを引く。
中指をズボンの折り目に合わせる。
親指を折りたたむ。
ほかの指を伸ばす。

これを一つずつ意識すると、身体の中ではいくつもの場所が別々に働きます。

足は足で形を作る。
胸は胸で張る。
首は首であごを引く。
手は手で位置を合わせる。
指は指で伸ばす。

外から見れば、気をつけの形に近づいているかもしれません。

でも、自分の中では、それぞれの部位が別々に形を支えている感じになります。

この時、形を保つ責任が、特定の筋肉に乗りやすい。

だから疲れます。

長く保つのが難しい

筋肉で形を作っている時は、長時間その形を保つのが難しいと感じます。

胸を張り続けると、背中や腰が疲れる。
あごを引き続けると、首が固くなる。
手の位置を合わせ続けると、肩や腕に力が入る。
指を伸ばし続けると、前腕まで張ってくる。

形は保てているように見えても、内側ではかなり頑張っている。

そして、頑張っている場所から先に崩れてきます。

胸が落ちる。
あごが出る。
肩が上がる。
手の位置がずれる。
指先が甘くなる。
足元が緩む。

崩れたら、また筋肉で直す。

胸を張り直す。
あごを引き直す。
手を合わせ直す。
指を伸ばし直す。

そうすると、さらに力が入る。

この繰り返しになることがあります。

形を作る。
疲れる。
崩れる。
また筋肉で直す。

今の自分には、筋肉で形を作っている時は、この循環に入りやすいように感じます。

それでも、筋肉で形を作ることは必要だと思う

ここで間違えたくないのは、筋肉で形を作ることを否定したいわけではない、ということです。

最初は、それでいいと思っています。

むしろ、最初から楽にやろうとして形が崩れるくらいなら、まずは力を使ってでも形を覚えた方がよい気がします。

胸を張る。
あごを引く。
手を合わせる。
足を置く。
指を伸ばす。

それを身体に入れる段階がある。

その段階では、筋肉で形を作るしかない場面があると思います。

力で形を作ることには、力で形を作ることの意味があります。

形を知らないと、何を直せばいいのか分からない。

力を入れて形を作ってみるから、どこが疲れるのかも分かる。

無理に保ってみるから、どこに力みが出るのかも分かる。

だから、筋肉で形を作る段階を、単に低いものとして扱いたくありません。

それは必要な入口だと思っています。

ただ、その力だけで保つと限界が出る

ただし、筋肉で形を作ることだけで進めようとすると、どこかで限界が出る気がします。

特定の筋肉で形を保つと、長く続かない。

力で止めると、次に動く時に一度ほどく必要がある。

部位ごとに頑張ると、身体全体のつながりが切れやすい。

胸だけを張る。
首だけであごを引く。
腕だけで手を合わせる。
足だけで位置を作る。

こうなると、形はできているように見えても、身体の中では別々の作業になっている気がします。

外から見える形は近い。

でも、中では部分ごとに力を入れて形を保っている。

その状態だと、長く保つことも難しいし、次の動きに自然につながることも難しい。

今の自分には、そこが気になっています。

型に嵌まると、形が少し楽に保たれる気がする

一方で、型に少し嵌まったように感じる時があります。

その時は、同じ形でも、筋肉で固めている時より楽に保てる気がします。

もちろん、力がなくなるわけではありません。

力はあります。

ただ、力の働き方が違う気がします。

胸だけで張っていない。
首だけであごを引いていない。
手先だけで位置を合わせていない。
脚だけで立っていない。

身体のいくつかの場所が関係しながら、形が保たれている感じがあります。

胸が潰れない。
あごが収まる。
手がそこに来る。
足がそこにある。

そういう感じです。

外から見ると、同じ気をつけかもしれません。

でも、内側では、筋肉でひとつずつ形を作っている時とは違う。

力で形を保っているというより、
身体の関係が合った結果として、形が保たれているように感じる。

今の自分には、そこが「型に嵌まる」感覚と関係している気がしています。

楽になることと、力がなくなることは違う

ここも注意しておきたいところです。

型に嵌まってくると楽に保てる気がする。

でも、それは力がなくなるという意味ではありません。

力を入れない。
ゆるめる。
だらっとする。
何もしない。

そういう話ではないと思っています。

むしろ、形は保たれています。

姿勢も崩れていない。
手の位置も抜けていない。
指先も死んでいない。
足元も緩んでいない。

ただ、特定の部位が強く頑張っている感じが減る。

どこか一箇所で支えているのではなく、
身体全体の関係の中で保たれている感じがある。

だから楽に感じる。

楽だけれど、抜けているわけではない。

力がないのではなく、力の働き方が違う。

今の自分には、そう見えています。

同じ形でも、内側で起きていることが違う

ここが、この回で一番残しておきたいことです。

同じ形でも、

  • 筋肉で作っている時
  • 型に嵌まって保たれている時

では、内側で起きていることが違う気がします。

筋肉で作っている時は、部位ごとに形を支えている感じがあります。

胸は胸で頑張る。
首は首で頑張る。
手は手で頑張る。
脚は脚で頑張る。

それぞれが、外から見える形を保とうとする。

一方で、型に嵌まって保たれている時は、
部位ごとに頑張っている感じが少し減ります。

足、骨盤、背中、胸、首、肩、腕、手、指先が、
別々ではなく関係として働いているように感じる。

形を筋肉で持ち上げているのではなく、
身体の関係の中に形が出ている。

まだうまく言えませんが、今の自分にはそういう違いとして感じられます。

まだ分かっているわけではない

もちろん、私はまだこれを分かっているわけではありません。

型に嵌まって形が保たれている状態を、安定して再現できるわけでもありません。

むしろ、今でもほとんどの時間は、筋肉で形を作っているのだと思います。

ただ、稽古の中で、たまに違う感じが出る。

外から形を作っている時より、少し楽に保てる。

でも、抜けているわけではない。

形はある。
力もある。
でも、特定の場所だけが頑張っている感じではない。

その感覚が少しだけある。

だから、今の段階で言葉にしておきたいと思いました。

現時点の理解として

今の自分には、こう見えています。

最初は、筋肉の収縮で形を作る。
それは悪いことではなく、形を覚えるためには必要な段階だと思う。

ただ、筋肉で形を作っていると、
特定の部位が形を支えることになり、長く保つのが難しくなる。

型に嵌まってくると、
同じ形でも、筋肉で固めている時より楽に保てる気がする。
ただし、それは力がなくなるという意味ではない。

同じ形でも、
筋肉で作っている時と、
型に嵌まって保たれている時では、
内側で起きていることが違う気がする。

今の自分には、そう感じられます。

これは正解の説明ではありません。

武歴10年にも満たない自分が、
現時点で型をどう受け取っているのかを残すための稽古メモです。

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