第4回 「嵌まる」という感覚について、いま言えること

前回は、「そうする」と「そうなる」は同じ形でも違う気がしている、という話を書きました。

胸を張る。
あごを引く。
手を合わせる。
足を置く。

そうやって、外から教わった形に身体を合わせに行く稽古があります。

一方で、たまに、

胸が潰れない位置に入る。
あごがそこに収まる。
手がそこに来る。
足がそこにしか出ない。

そう感じることがあります。

今回は、その感覚をもう少し細かく書いておきます。

今の自分は、その感覚を「嵌まる」と呼んでいます。

ただし、これはまだ自分の中でも定義できている言葉ではありません。

うまく説明できない。
でも、ほかの言葉では少し足りない。
だから、今のところは「嵌まる」としか言いようがない。

その程度の、まだ不安定な言葉です。

「嵌まる」は、固まることではない

まず、今の自分が「嵌まる」と呼んでいるものは、固まることではありません。

形を崩さないように身体を固める。
姿勢を維持するために力で止める。
手足の位置がずれないように筋肉で押さえる。

そういう感覚とは違います。

固めると、たしかに形は止まります。

手の位置も動かない。
胸も張ったままになる。
あごも引いたままになる。
姿勢も崩れにくくなる。

でも、その時の身体は、どこか重い。

次に動こうとすると、一度ほどかないと動けない感じがあります。

止まっている時には形になっていても、
次の動きに入る時に、固めたものを解除しなければならない。

今の自分が「嵌まる」と呼んでいる感覚は、それとは違います。

嵌まった時は、止まっているようで、次に動ける余地が残っている気がします。

形はある。
でも固まってはいない。

そこが、まず大きく違う気がしています。

「嵌まる」は、気持ちよく決まることでもない

「嵌まる」と言うと、気持ちよく決まることのようにも聞こえるかもしれません。

でも、それとも少し違う気がしています。

気持ちよく決まった感じは、稽古の中でたしかにあります。

今日は動きが軽い。
今日は形が決まる。
今日は身体がよく動く。

そう感じる日があります。

ただ、それだけでは「嵌まる」とは言い切れない気がします。

気持ちよく決まっているだけなら、
それはその日の調子かもしれません。

自分の得意な力の入れ方に入っただけかもしれません。

見た目がうまくまとまっただけかもしれません。

今の自分が言いたい「嵌まる」は、
単に気分よく決まったというより、
身体の中の関係が合って、教わった形がそこにしか来ないように感じることに近いです。

だから、気持ちよさだけでは足りない。

気持ちいいかどうかよりも、
その形が、身体の条件としてそこに現れているかどうか。

今の自分は、そこを見たいと思っています。

「嵌まる」は、癖に戻ることでもない

また、「嵌まる」は、自分の癖に戻ることでもありません。

身体には、慣れた動き方があります。

立ちやすい立ち方。
力を入れやすい場所。
固めやすい場所。
逃がしやすい方向。

そういうものがあります。

自分では自然にやっているつもりでも、
実際には、いつもの癖に戻っているだけということもあると思います。

ただ、今ここで言いたい「嵌まる」は、そういう意味ではありません。

いつもの癖に戻って落ち着くことを、嵌まると呼びたいわけではない。

むしろ、嵌まったと感じる時は、
いつもの力の入れ方とは少し違う感じがあります。

いつものように胸だけで張っていない。
いつものように首だけであごを引いていない。
いつものように手先だけで合わせていない。
いつものように足だけを置いていない。

そういう、いつもの部位ごとの操作から少し外れる感じがあります。

だから、自分の癖に戻って安心することとは違う。

むしろ、今までとは違う身体の関係に一瞬入る感じがある。

その感覚を、今の自分は「嵌まる」と呼んでいます。

「嵌まる」は、ただ形を作ることでもない

「嵌まる」は、ただ形を作ることでもありません。

形を作る稽古では、外から見える位置を合わせます。

手はここ。
足はここ。
胸はこう。
あごはこう。
目線はここ。
指先はこう。

それを一つずつ合わせていく。

これは必要な稽古です。

ただ、形を作っている時は、
自分の身体を外から見える正解に合わせに行く感じがあります。

一方で、嵌まったと感じる時は、
外から合わせに行くというより、
身体の中の条件が合った結果として、その形がそこに現れる感じがあります。

手をそこに置くのではなく、そこに来る。

あごを引くのではなく、そこに収まる。

胸を張るのではなく、潰れない位置に入る。

足を置くのではなく、そこにしか出ない。

この違いが、今の自分には大きいです。

現時点での「嵌まる」の仮置き

ここまでの否定を踏まえると、
今の自分にとって「嵌まる」は、こういう感覚に近いです。

身体の使い方の条件が合ったとき、
教わった形がそこにしか来ないように感じること。

ただし、これはまだかなり仮の言葉です。

本当にこれで合っているのかは分かりません。

あとで稽古が進んだら、違う言葉で言い直すかもしれません。

それでも、現時点では、これが一番近い気がしています。

嵌まるとは、形を外から作ることではない。

固めることでもない。
気持ちよく決まることでもない。
癖に戻ることでもない。

身体の条件が合った結果として、
教わった形が、そこにしか来ないように感じること。

今の自分には、そう見えています。

ただし、まだ本当にできているわけではない

ここで大事なのは、私はまだそれを本当にできているわけではないということです。

嵌まるという感覚が分かってきた気はしています。

でも、安定して再現できるわけではありません。

毎回そこに入れるわけでもありません。

型全体を通して嵌まり続けるようなことも、まだできていないと思います。

むしろ、今の自分は、
「嵌まる」という感覚の入口が少し分かってきた段階なのだと思います。

ある時だけ、少し分かる。

でも、次にやると消える。

再現しようとすると、また外から形を作る感じに戻ってしまう。

だから、分かったとは言えません。

ただ、全く分からないとも言えない。

何かがある。

その何かを、今の自分は「嵌まる」と呼んでいます。

嵌まり方にも段階がある気がする

もう一つ、今の自分が感じていることがあります。

それは、嵌まると言っても、一段階ではないのではないか、ということです。

嵌まったか、嵌まっていないか。

そういう二択ではなく、
嵌まり方にも深さや広がりがある気がしています。

まだ整理しきれていませんが、現時点では、次のような段階がありそうに感じています。

1. 部分的に嵌まる

まずは、身体の一部で「あ、ここかもしれない」と感じる段階があります。

たとえば、あごの位置。

首だけで引くのではなく、背中や頭の位置まで含めて、
あごがそこに収まるように感じる。

あるいは、手の位置。

手先だけで合わせるのではなく、
肩、肘、手首、指先の関係が少し合った結果として、
手がそこに来る。

この段階では、まだ全体ではありません。

でも、一部分について、
外から作るのとは少し違う感覚が出る。

これが、部分的に嵌まるということなのかもしれません。

2. 複数の部位の関係が嵌まる

次に、ひとつの部位だけではなく、
複数の部位の関係が合う感じがあります。

たとえば、あごだけではなく、首、背中、胸の関係。

手だけではなく、肩、肘、手首、指先の関係。

足だけではなく、足裏、膝、骨盤、上体の関係。

ひとつの場所を直すのではなく、
いくつかの場所が一緒に決まるような感じです。

この時、身体の中で起きていることは、
部位ごとの足し算ではない気がします。

一箇所が変わると、別の場所も一緒に変わる。

いくつかの部位が、別々ではなく関係として収まる。

今の自分には、そういう嵌まり方がある気がしています。

3. 姿勢全体が嵌まる

さらに進むと、姿勢全体が嵌まるという段階があるのかもしれません。

気をつけで言えば、
足、膝、骨盤、背中、胸、首、あご、肩、腕、手、指先が、
別々ではなく一つの姿勢として収まる。

これは、今の自分にはまだほとんど分かっていない領域です。

ただ、部分だけが合っているのではなく、
全体として「ここ」という状態があるのではないか。

そう感じることがあります。

もし姿勢全体が嵌まるとしたら、
それは単にきれいに立てているということではないと思います。

力で保っているのではなく、
身体全体の関係として、その姿勢が保たれている。

そういう状態なのかもしれません。

4. 動きの中で嵌まる

ただ、型は止まった姿勢だけではありません。

動きがあります。

方向を変える。
足を運ぶ。
受ける。
突く。
沈む。
伸びる。

だから、止まった姿勢で嵌まるだけでは足りないのだと思います。

動きの中で、その都度、身体の条件が合っていく。

足がそこにしか出ない。
手がそこにしか来ない。
重心がそこを通る。
次の動きに無理なくつながる。

そういう嵌まり方があるのではないか。

今の自分には、まだかなり遠い感覚です。

ただ、型の中で考えるなら、
最終的には止まった形だけではなく、動きの中で嵌まることが必要なのではないかと感じています。

5. 型全体の流れの中で嵌まる

さらに上には、型全体の流れの中で嵌まるという段階がある気がします。

ひとつの立ち方。
ひとつの手の位置。
ひとつの方向転換。
ひとつの受け。
ひとつの突き。

それぞれが単独で嵌まるだけではなく、
前の動きから次の動きへつながる中で嵌まっていく。

一つの形が、前の動きの結果であり、
次の動きの条件にもなっている。

そういう流れの中で、型全体が成立していくのではないか。

今の自分には、まだほとんど分かっていません。

ただ、部分的に嵌まる感覚があるなら、
その先には、型全体の流れとして嵌まる感覚もあるのではないか。

そう感じています。

今の自分は、入口にいるだけだと思う

ここまで書いてきましたが、
今の自分がこれらをできているとは思っていません。

部分的に嵌まる感覚が、少し分かってきた気がする。

複数の部位の関係が合う感じも、少しだけある。

でも、姿勢全体が嵌まるところまではまだ遠い。

動きの中で嵌まることも、型全体の流れの中で嵌まることも、
まだほとんど分かっていない。

今の自分は、たぶん入口にいるだけです。

ただ、その入口に立ったからこそ、
先にまだ階層がありそうだと感じるようになりました。

この感覚を、今の段階で残しておきたい。

現時点の理解として

今の自分には、「嵌まる」という感覚は、こう見えています。

嵌まるとは、身体の使い方の条件が合ったときに、
教わった形がそこにしか来ないように感じること。

ただし、それは固まることではありません。

気持ちよく決まることでもありません。
癖に戻ることでもありません。
ただ形を作ることでもありません。

そして、嵌まり方には段階がある気がしています。

  • 部分的に嵌まる
  • 複数の部位の関係が嵌まる
  • 姿勢全体が嵌まる
  • 動きの中で嵌まる
  • 型全体の流れの中で嵌まる

これは、まだ仮説です。

今後、かなり変わるかもしれません。

それでも、現時点の自分には、
「嵌まる」という言葉でしか拾えない感覚があります。

私はまだ、本当にそれができているわけではありません。

でも、その感覚の入口だけは、少し分かってきた気がしています。

これは正解の説明ではなく、
武歴10年にも満たない自分が、現時点で型をどう受け取っているのかを残すための稽古メモです。

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