前回は、型の中の形を、静的なものではなく動的なものとして見た方が近い気がしている、という話を書きました。
型は止まっていない。
気をつけでさえ、完全な静止ではない。
呼吸がある。
接地がある。
重心の微細な調整がある。
次の動きへの準備がある。
さらに、型には相手の存在も想定されているはずです。
だから、型の中の形は、写真のように止まった完成形ではなく、
動きの中で一瞬成立する均衡点のようなものとして見た方が、
今の自分にはしっくり来ます。
今回は、その話を少し指導の側から考えてみます。
初心者には、まず形を教えるしかない。
でも、形だけで終わると危ういのではないか。
今の自分には、その両方が大事に見えています。
初心者には、まず形を教えるしかない
初心者には、まず形を教えるしかないと思います。
手はここ。
足はここ。
胸はこう。
あごはこう。
目線はここ。
指先はこう。
そうやって、外から見える形を教える。
これは必要なことだと思っています。
最初から、型に嵌まるとか、
力の使い方が変わるとか、
動的な均衡とか、
相手と接触した後に形がどう働くとか、
そういう話をしても、たぶん分かりません。
身体の中に、それを受け取るだけの経験がまだないからです。
言葉としては聞けるかもしれません。
でも、その言葉が身体の中で何を指しているのかが分からない。
だから、初心者には、まず形を教える。
それでいい場面があると思っています。
先のことを言いすぎると、むしろ誤解になる
先のことを早く言いすぎると、むしろ誤解になることがあります。
たとえば、「力を抜け」と言われる。
すると、初心者は力を入れないことが正しいと思ってしまうかもしれません。
その結果、姿勢まで抜ける。
手の位置が甘くなる。
足元が緩む。
目線がぼやける。
指先が死ぬ。
本当は、余計な力みを抜く話だったのかもしれない。
でも、受け取る側にその感覚がなければ、
「力を抜く」が「何もしない」に近くなってしまうことがあります。
「身体全体で保つ」と言っても、同じです。
経験がない段階でそれを言われても、
何をどうすればいいのか分からない。
結局、言葉だけが先に入って、
身体はついてこない。
だから、初心者には先の話をしすぎない方がいい場面があると思っています。
まずは形。
手の位置。
足の位置。
姿勢。
目線。
指先。
それを一つずつ身体に入れる。
それが必要な段階は確かにあると思います。
形だけでいい場面がある
形だけでいい場面があります。
少なくとも、最初の段階ではそうだと思います。
結び立ちにする。
胸を張る。
あごを引く。
中指をズボンの折り目に合わせる。
親指を折りたたむ。
ほかの指を伸ばす。
まずは、それを覚える。
細かい意味や、内側の感覚や、型全体の流れは、
あとから少しずつ見えてくるものなのかもしれません。
最初から全部を説明しても、たぶん受け取れない。
だから、教える側が初心者に渡すものは、
その時点では形だけでよい場合がある。
これは、形を浅く見るということではありません。
むしろ、形は入口として必要です。
形がなければ、何を稽古しているのか分からない。
形がなければ、崩れているのかどうかも分からない。
形がなければ、後から何を直せばいいのかも見えにくい。
だから、初心者に形を教えることは必要だと思っています。
ただし、先を言わないことと、先を知らないことは違う
ただし、ここに危うさもあると思っています。
初心者に先のことを言わない。
これは、指導上の配慮です。
でも、指導者がその先を知らない。
これは、別の問題です。
先を言わないことと、先を知らないことは違う。
ここがかなり大事だと思っています。
初心者には形を教えるしかない。
でも、教える側まで形しか見えていないと、
その形はただの外形規則になってしまうかもしれません。
手はここ。
足はここ。
胸はこう。
あごはこう。
それは言える。
でも、なぜその形なのか。
なぜそこに手が来るのか。
なぜその足の位置なのか。
なぜその姿勢が必要なのか。
そこが分からないまま教えると、
外から見える形だけを伝えることになる。
それが怖いところだと思っています。
形が規則になる危うさ
なぜその形なのかが分からないまま教えると、形が規則になりやすい気がします。
昔からそう教わったから。
先生にそう言われたから。
この流派ではそうするから。
形が違うから直す。
もちろん、伝統や流派の形を守ることは大事です。
そこを軽く見たいわけではありません。
ただ、なぜそうなるのかが抜けたまま形だけが残ると、
稽古が外形合わせに寄りすぎる危うさがあります。
手が違うから、手を直す。
胸が違うから、胸を張る。
あごが違うから、あごを引く。
足が違うから、足の位置を直す。
もちろん、それは必要です。
でも、それだけだと、部位ごとに形を合わせる稽古に閉じてしまう。
身体の使い方の条件が合った結果として、
その形がそこに現れる。
そういう方向へつながりにくくなるのではないか。
今の自分は、そこに危うさを感じています。
指導者がその先を実感していないまま教える危うさ
指導者がその先を実感していないまま形だけを教えると、
なぜその形なのかが分からないまま、外形だけを伝えることになる危険があります。
これは、かなり怖いことだと思います。
なぜなら、教える側は正しい形を教えているつもりだからです。
間違ったことを教えているつもりはない。
むしろ、教わった通りに伝えている。
手の位置も、足の位置も、姿勢も、正しく伝えようとしている。
でも、その形がどのように身体の中で成立するのかを実感していないと、
どうしても外から見える部分だけを直すことになりやすい。
その結果、教わる側は、
手だけを直す。
足だけを直す。
胸だけを張る。
あごだけを引く。
そうやって、部位ごとに形を作る方向へ行くかもしれません。
もちろん、最初はそれでよい場面があります。
でも、ずっとそこだけで止まると、
型に嵌まる感覚や、形が身体の条件から現れる感覚にはつながりにくいのではないか。
今の自分には、そう見えています。
これは誰かを批判したい話ではない
ただし、これは誰かを批判したい話ではありません。
指導者批判をしたいわけではありません。
自分が何か分かっている立場から、
他人の指導を裁きたいわけでもありません。
むしろ逆です。
私はまだ武歴10年にも満たない未熟者です。
型について分かったと言える段階ではありません。
だからこそ、怖さがあります。
自分も、将来そうなるかもしれないからです。
形だけを覚える。
その形を人に教える。
でも、その形の奥に何があるのかを実感できていない。
それなのに、分かったつもりで教えてしまう。
そういう危うさは、自分の中にもあると思っています。
だから、この話は誰かを責めるためではありません。
自分自身が将来そうならないために、
今の段階で怖さとして残しておきたい話です。
教える側は、全部を話す必要はない。でも見えている必要はある
教える側は、初心者に全部を話す必要はないと思います。
むしろ、全部を話すと混乱することがあります。
初心者には、今必要な形を教える。
それでいい場面がある。
ただし、教える側の中では、
その形がただの外形ではないことを見ている必要があるのではないか。
手の位置を教える。
でも、その手の位置が、身体のどんな条件と関係しているのかを見ようとする。
足の位置を教える。
でも、その足の位置が、重心や流れや次の動きとどう関係しているのかを見ようとする。
胸を張るように言う。
でも、胸だけを張らせるのではなく、
どうすれば身体全体の中で胸が潰れずに保たれるのかを見ようとする。
あごを引くように言う。
でも、首だけで引かせるのではなく、
背中や頭の位置との関係を見ようとする。
もちろん、今の自分にはそこまで見えていません。
でも、少なくとも、教える側は、
「形を教えているけれど、形だけを見ているわけではない」
という状態である必要があるのではないか。
今は、そう感じています。
途中段階の人が教えること自体は悪いことではない
もう一つ、切り分けておきたいことがあります。
完全に分かってからでないと教えてはいけない、という話ではありません。
稽古の場では、途中段階の人が初心者を見ることもあります。
それ自体が悪いことだとは思いません。
自分より少し先に進んだ人が、入口を教える。
それは自然なことだと思います。
問題は、途中段階で教えることそのものではありません。
問題は、途中段階で見えているものを、型のすべてだと思ってしまうことです。
自分が教えているのは入口である。
自分が伝えているのは、今の段階で必要な形である。
でも、その奥には、自分もまだ分かっていないものがある。
そう思えているかどうかで、教え方はかなり変わる気がします。
現時点の理解として
今の自分には、こう見えています。
初心者には、まず形を教えるしかない。
先のことを言っても分からないことが多く、むしろ誤解になることもある。
だから、形だけでいい場面がある。
ただし、先を言わないことと、先を知らないことは違う。
指導者がその先を実感していないまま形だけを教えると、
なぜその形なのかが分からないまま、外形だけを伝える危険がある。
これは誰かを批判したい話ではありません。
むしろ、自分自身が将来そうならないために、
今の段階で怖さとして残しておきたい話です。
初心者に渡すものは形でよい。
でも、教える側が見ているものまで形だけになった時、
型は外形の反復に落ちてしまうのではないか。
今の自分は、そこに危うさを感じています。
これは正解の説明ではありません。
武歴10年にも満たない自分が、
現時点で型をどう受け取っているのかを残すための稽古メモです。

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