修行途中

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沖縄空手

第18回 簡単に「達人」と呼ばないこと

前回は、オープンワールドだからこそ、先生・先輩・師匠が必要になる、という話を書きました。形を覚える段階でも、先生や先輩は必要です。外形から内部操作へ移る段階では、さらに必要になる。自分では、内部のズレに気づけないことがある。勝手に揃ったつも...
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第12回 「形」と「型」は対立ではなく、段階として見る

前回は、形を否定しないこと、でも形で終わらないことについて書きました。最初は形を合わせるしかない。手の位置。足の位置。姿勢。角度。目線。指先。そうした外から見える基準を教わることは、稽古の入口として必要です。ただし、形を合わせることがゴール...
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第11回 「形」を否定しない。でも「形」で終わらない

このシリーズでは、空手の型稽古について、いま自分が考えていることを整理していきます。第0回では、全体の指針として、形を通って、型に入る。でも、型に嵌まり、身体が勝手に揃うことも、まだゴールではない。そこから、オープンワールドとしての修行が始...
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第10回 形から型へ、そしてオープンワールドへ

このシリーズでは、空手の型について、いま自分が考えていることを整理していきます。ただし、これは型について正解を書くものではありません。私はまだ武歴10年にも満たない未熟者です。型について分かったと言える段階ではありません。それでも、稽古を続...
沖縄空手

第9回 この理解は、たぶん今後変わる

ここまで、型について現時点で考えていることを書いてきました。「形」と「型」を、いま自分はどう分けて見ているか。「そうする」と「そうなる」は、同じ形でも違う気がしていること。「嵌まる」という感覚について、いま言えること。筋肉で形を作ることと、...
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第8回 初心者には形を教えるしかない。でも、それだけで終わる危うさもある

前回は、型の中の形を、静的なものではなく動的なものとして見た方が近い気がしている、という話を書きました。型は止まっていない。気をつけでさえ、完全な静止ではない。呼吸がある。接地がある。重心の微細な調整がある。次の動きへの準備がある。さらに、...
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第4回 「嵌まる」という感覚について、いま言えること

前回は、「そうする」と「そうなる」は同じ形でも違う気がしている、という話を書きました。胸を張る。あごを引く。手を合わせる。足を置く。そうやって、外から教わった形に身体を合わせに行く稽古があります。一方で、たまに、胸が潰れない位置に入る。あご...
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第3回 「そうする」と「そうなる」は、同じ形でも違う気がしている

前回は、いまの自分が「形」と「型」をどう分けて見ているかを書きました。形は、外から見える姿勢や位置。型は、その形が生まれる身体の使い方、流れ、条件まで含んでいるのではないか。そう仮置きすると、稽古中に感じている違和感を少し整理しやすくなりま...
沖縄空手

第2回 「形」と「型」を、いま自分はどう分けて見ているか

前回は、型の稽古について、いま自分が何に引っかかっているのかを書きました。同じ型を稽古している。同じ立ち方をしている。同じ手の位置、同じ足の位置、同じ姿勢を教わっている。それなのに、自分の中では、少しずつ見ているものが変わってきている気がす...
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第1回 武歴10年未満の自分が、いま型について考えていること

これは、空手の型について正解を書く文章ではありません。私はまだ武歴10年にも満たない未熟者です。型について、分かったと言える段階ではありません。それでも、稽古を続けている中で、最近どうしても引っかかることがあります。同じ型を稽古している。同...
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