剛泊会の中国武術調査資料を読んでいる。
今回読んだのは、沖縄タイムス夕刊1に掲載された、
ルールーコーは劉祥京
「那覇手」東恩納の師に手がかり
剛泊会に中国が協力 一詳細不明の経歴さらに調査一
という記事である。
この記事でまず重要なのは、沖縄側に残っていた手がかりの少なさだと思う。
東恩納寛量の中国での師について、沖縄には「ルールーコー」という呼び名が伝わっていた。
しかし、その人物が具体的に誰だったのか。
中国ではどのような名で呼ばれていたのか。
福州でどのような武術を教えていたのか。
そこは、はっきりしていなかった。
つまり、この時点で沖縄側が持っていた大きな手がかりは、「ルールーコー」という音だった。
剛泊会は、その音を手がかりにして、中国側へ調査を依頼する。
そして、中国側の中間報告として出てきたのが、劉祥京という人物だった。
記事では、沖縄で「ルールーコー」と呼んでいる発音は、福州語の「レア・ショウギン」にあたり、該当する人物は1852年福州生まれの武術家・劉祥京である、とされている。
劉祥京は、竹細工を生業としながら、幼少のころから武術を身につけ、二十歳ごろには道場を構えて弟子を教えていたという。
さらに、その弟子の一人に日本人がいたともされている。
この日本人が、東恩納寛量だったのではないか。
この記事では、そこが調査の入り口になっている。
ただ、自分にはここで引っかかる点がある。
「ルールーコー」と「レア・ショウギン」は、現在の日本語感覚で見ると、すぐに近い音だとは感じにくい。
ルールーコー。
レア・ショウギン。
並べてみても、音としてはかなり距離があるように感じる。
では、なぜ福州市体育運動委員会は、この二つを結びつけたのか。
おそらく、単純にカタカナの響きだけを比べたのではないのだと思う。
記事には、ルールーコーは沖縄では「劉龍公」あるいは「劉良公」とも表記されていた、とある。
つまり、中国側は「ルールーコー」という音だけでなく、「劉」という姓を含む表記の痕跡も見ていた可能性がある。
そこに、福州語での読み、当時の福州にいた武術家の情報、竹細工を生業としながら武術を教えていた人物、そして弟子の中に日本人がいたという条件が重なった。
その結果として、劉祥京という人物が候補として出てきたのではないか。
そう考えると、この記事で起きているのは、単なる音合わせではない。
沖縄側に残った「ルールーコー」という音。
それに対応しそうな漢字表記。
福州語での読み。
現地に残る人物情報。
職業や弟子の条件。
それらを重ねたうえで、中国側が劉祥京という仮説を返してきた。
この記事は、そこまでの記録として読むのがよさそうである。
剛泊会が、最初からルールーコーの正体を掴んでいたわけではない。
沖縄側には、発音しか強い手がかりがなかった。
その手がかりを持って中国側に調査を依頼し、福州の関係機関が現地の情報と照合して、まず劉祥京という人物に当たりをつけた。
この記事から見えてくるのは、ルールーコーの正体そのものよりも、調査の出発点である。
名前が分からない。
記録も乏しい。
残っているのは、沖縄に伝わった音だけ。
その音を、中国側の調査に預ける。
そこから、ようやく一人の人物の名前が浮かび上がってくる。
この記事は、その最初の段階を記録しているのだと思う。
- 沖縄タイムス掲載時期は不明だが昭和63年3月7日以前だとおもわれる。私は平成21年5月20日発行 剛泊会中国武術調査 新聞掲載論文集を参照している。 ↩︎

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