第26回 自分たちが修行している武術を、後輩にどう伝えるのか

剛泊会の中国武術調査資料を読んでいる。

今回読んだのは、1988年3月7日付の沖縄タイムスに掲載1された、

「那覇手の祖 東恩納寛量とルールーコー(1)」
「知られざる生涯に挑む 一福州で調査、輪郭わかる一」

という記事である。

この記事で大事なのは、単に東恩納寛量やルールーコーを調べ始めた、ということではないと思う。

その前に、渡嘉敷唯賢剛泊会会長という人の立ち位置がある。

渡嘉敷唯賢会長は、仲宗根正侑先生から泊手を、福地清幸先生から剛柔流を伝授され、小林流の比嘉佑直先生をはじめ、沖縄空手界の先生方とも深い親交を持たれていた方である。

空手の歴史にも、もともと精通されていた。

その渡嘉敷唯賢会長が、剛泊会の幹部研修会を通して、後輩たちに空手道の精神論、技法の科学的理論、沖縄空手道の歴史、著名な武道家についての知識を習得させようとしていた。

ここが、この調査の出発点として大きい。

日々の稽古だけでは、技は身についても、その技がどこから来たのかまでは分からない。

自分たちは、何を修行しているのか。
この武術は、どのような人々によって伝えられてきたのか。
後輩に伝える時、技だけでなく、その背景をどこまで伝えられるのか。

そう考えた時に、避けて通れなかったのが東恩納寛量だったのだと思う。

剛柔流の開祖である宮城長順については、比較的資料が残っている。

しかし、その師であり、那覇手の始祖とされる東恩納寛量については、詳しい資料が少ない。

さらに、東恩納寛量の師とされるルールーコーについては、資料がほとんどなく、名前さえはっきりしていない。

つまり、剛柔流や那覇手の流れを後輩に伝えようとすると、途中で大きな空白にぶつかる。

この記事は、その空白を前にした記事である。

だから渡嘉敷唯賢会長は、まず東恩納家の縁故者を探し、家譜を調べ、沖縄本島だけでなく、周辺離島や先島まで足を運んでいく。

そして、東恩納寛量を調べるうちに、どうしても福州での修業とルールーコーに行き着く。

沖縄だけを調べていても届かない。

東恩納寛量が福州で何を学んだのか。
その師であるルールーコーとは何者だったのか。

そこを調べなければ、自分たちが修行している武術の流れを、後輩に十分伝えることができない。

この記事から見えてくるのは、そういう調査の必然である。

歴史趣味ではない。
単なるルーツ探しでもない。

自分たちが修行している武術を、自分たち自身が理解し、後輩に伝えるための調査である。

その問いが、東恩納寛量へ向かい、さらにルールーコーへ向かわせたのだと思う。

  1. 平成21年5月20日発行 剛泊会中国武術調査 新聞掲載論文集を参照。 ↩︎

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